勝龍寺城 井戸跡
勝龍寺城 井戸跡
本丸内の井戸跡。
◎持田ノ眼◎
勝龍寺城跡に残る井戸跡。
勝龍寺城本丸内からは、
発掘調査の結果、4箇所の井戸跡が発見されており、
この井戸跡は、その中のひとつ。
直径は90センチで、深さは2メートルほどしか無いが、
発掘調査時にも水が湧いていた、と言う。
復元された井戸は、井戸の「井」の字のわかりやすい安全柵で
覆われている。
この井戸は、細川氏時代に掘られた井戸と見られており、
恐らく周辺地域から持ち運ばれたと思われる石仏や
五輪石塔が、石組みに使われていた。
何気無い井戸跡ではあるが、
この井戸から汲み上げた水を、輿入れして来た細川ガラシャが、
口にしたかも知れない。
また、ガラシャの父の明智光秀が、
『山崎合戦』で羽柴秀吉の前に敗れた際、
この勝龍寺城に逃げ込んでいるが、その時に、
喉の渇きを癒した可能性もある。
そう思って見ると、この何の変哲も無い井戸跡は、
物言わぬ日本史の証人であることに気付く。