勝龍寺城 北門跡 城門跡。
◎持田ノ眼◎ 本丸跡北西に位置する。 俗説では、天正10(1582)年の『山崎合戦』で、 羽柴秀吉軍の前に敗れた明智光秀が、勝龍寺城に一旦入城。 そして、この北門から、坂本城を目指して逃亡した、 と言われている。 天正6(1578)年に、光秀の娘の玉(細川ガラシャ)が、 勝龍寺城の細川忠興のもとへ輿入れしてから、 僅か4年後の出来事である。 なお、天正8(1580)年に、 細川氏が丹後に国替えになってからは、 勝龍寺城は、織田信長直轄領として城代が、 置かれていた。 この北門跡は、僅か数年間の栄枯盛衰を見続けた 物言わぬ証人でもある。