光明寺 法然上人荼毘所跡 安貞2(1228)年、法然の遺骸を荼毘に付したところ。
◎持田ノ眼◎ 庫裡の前に位置する。 法然が入寂したのは、 建暦2(1212)年正月25日のことである。 法然は、東山大谷に埋葬されていたが、 法然の教えを危険視した延暦寺僧兵らが大挙して、 法然の墓を発こうとした。 このために、弟子たちが法然の遺骸を避難させ、 乙訓の粟生で荼毘に付した。 法然の入寂から6年後のことである。 法然の法灯を守ろうとした弟子たちの 強い意志が感じられる場所である。