醍醐寺 五重塔
醍醐寺 五重塔(国宝)
三間五重塔婆。
本瓦葺。
平安時代.。
天暦5(951)年、創建。
◎持田ノ眼◎
金堂の南側に位置する。
現存する五重塔では、京都最古であり、
日本全体では、法隆寺、室生寺に次いで、
3番目に古い。
醍醐天皇崩御後、
醍醐天皇の皇后であった藤原穏子が、
この五重塔建立の令旨を出し、
朱雀天皇の御願によって、
藤原仲平が建立を開始した。
建立後、平安時代に二度、室町時代に一度、
それぞれ修復作業が実施されているが、
戦国時代以降は修復もままならず、
南側の屋根に至っては最上階から最下層まで全て落ちる等、
かなり荒廃したようである。
このような荒れ果てた状態であった五重塔に、
救いの手を差し伸べたのが、豊臣秀吉であった。
秀吉が行なった「醍醐の花見」の目的のひとつは、
五重塔の視察であった、とも言われている。
こうして、慶長3(1598)年から宿願の修復が
開始された。
この五重塔の前に立つと、
1000年以上もの長い間に渡り、
存在し続けて来た姿に圧倒される。
醍醐寺の五重塔の特徴は、
頂上部の相輪が大きいことにあり、
全体のシルエットを荘厳にしている。