大原 鉈捨藪跡 平安時代末、熊谷直実が、 法然を護るために隠し持っていた鉈を、 捨て去った藪の跡。
◎持田ノ眼◎ 勝林院前に位置する。 文治3(1186)年に、法然が 勝林院に呼ばれ、所謂「大原問答」が行なわれた際、 熊谷直実は、師と仰ぐ法然に付き従い大原までやって来た。 そして、もしも「大原問答」で、 法然が敗れるようなことがあった場合には、 その相手を殺害しようと鉈を隠し持っていたが、 法然に、その意図を察知され、諭されたことで、 直実は改心し、鉈を藪に捨てた。 鉈を捨てた藪のあった場所が写真の位置とされる。 今となっては、想像力だけが、 頼りである。