京都御所 飛香舎(藤壷)
京都御所 飛香舎(藤壷)
江戸時代、寛政年間に造営。
◎持田ノ眼◎
京都御所の北側に位置する。
寛政年間に徳川幕府は、
松平定信を惣奉行として内裏の造営を実施。
この寛政度の造営に当たり、
定信は、裏松固禅の『大内裏図考証』を参考にして、
紫宸殿の一部、清涼殿、玄輝門等、そして、この飛香舎を、
平安時代の古制に準じて建てた。
中でも最も古制を伝えている建物が、
建物内部に天井が張られておらず、
小屋組に「二重虹梁」ではなく「豕扠首」を採用した梁が、
そのまま見ることの出来る構造となっている
飛香舎であると言われる。
飛香舎は、平安時代の内裏五舎のひとつで、
女御入内の儀等の重要な儀式が行なわれた建物である。
また、庭に藤を植えていたことから「藤壷」とも呼ばれていた。
この寛政度の飛香舎の庭にも、藤が植えられている。
寛政度の飛香舎は、「儀式用」部分だけが建てられたもので、
昼の御座、女房座、公卿座等しか無く、
「住居用」部分は備えていない。
毎年行なわれる春と秋の一般公開では、公開されておらず、
平成17(2005)年度秋の一般公開の際に順路が拡大される形で、
特別に公開された。