淀殿墓所 元和元(1615)年、『大坂夏の陣』。 徳川家康に攻められ、5月7日に大坂城が落城し、 翌8日になって、豊臣秀頼と共に自刃。 明治10(1877)年、現在地に墓所を移転。 太融寺。
◎持田ノ眼◎ 淀殿自刃後、 鴫野に墓所が設けられたが、 明治時代になって、現在地に移転された。 徳川幕府によって貶められ、 その実像は、江戸時代を通して、 歪められ続けて来た悲運の女性である淀殿の墓所である。 喧騒で賑わう大阪キタの一角に、 ひっそりと淀殿の墓所は佇んでいる。 その姿は、誰もが豊臣氏の恩義を忘れ去り、 徳川家康の味方となった『大坂の陣』で孤立無援になりながらも、 凛とした姿勢を見せ続けた 淀殿の姿と重なる。