豊臣秀勝(羽柴秀勝)廟 天正4(1576)年、 当時、長浜城城主であった羽柴秀吉の 実子である秀勝が亡くなり埋葬されたとの伝承が 長浜には残されている。 妙法寺。
◎持田ノ眼◎ 長浜市にある妙法寺には、 この廟の他に「伝豊臣秀勝像」とされる童子像が 伝えられていたが、昭和27(1952)年に焼失している。 元々は、妙法寺の旧境内に安置されていたので、 後に現在地に移転されたものと言われる。 平成15(2003)年になって、旧地に学術調査が行われ、 安土桃山時代の上級武士階級の墓地であることが 確認されている。 なお現地等の表記は、 「豊臣秀勝公廟」とされているが、 当時の秀吉は「羽柴」姓であり、「羽柴秀勝」と表記する方が 適切ではないかと思われる。