大阪城(大坂城) 淀殿豊臣秀頼自刃の地 元和元(1615)年5月8日、 周囲を圧倒的な徳川家康軍によって攻囲され、 山里曲輪糠蔵に避難していた 淀殿と豊臣秀頼は自刃する。 その瞬間、豊臣秀吉が築き上げた栄耀栄華の世界も 幕を下ろす。
◎持田ノ眼◎ 大勢の観光客で賑わう大阪城にあって、 この石碑の周辺だけは訪れる人影もまばらで、 まるでポッカリと忘れられた空間のようである。 今から約400年前、この地で、 裏切り離れる人の心に翻弄されながらも、 最期の最期まで「人としてのプライド」を捨てることのなかった 淀殿と豊臣秀頼と言う母と子の強い絆に、 思いを馳せるための静けさが 漂っている。