豊臣秀次墓所 豊臣秀次 (1568〜1595) 文禄4(1595)年7月15日、 豊臣秀吉から謀反の嫌疑をかけられて高野山にて自刃。 8月2日には、三条河原にて、 妻子39人が、秀次の頚の前で、 次々と処刑されてしまう。 慶長16(1611)年、高瀬川の掘削を行っていた 角倉了以によって、秀次一族の菩提を弔うための瑞泉寺と 一族の墓所が建立された。
◎持田ノ眼◎ 豊臣秀次の墓石を中心に、 左右には「秀次事件」に連座し、 罪もなく処刑された妻や子たちの墓石が並ぶ。 墓石中央部分の六角形の石は、 かつて三条河原に塚が建てられていた時に、 秀次の頚が納められていた石櫃であると 伝えられている。 瑞泉寺。