細川ガラシャ墓所 細川ガラシャ (1563〜1600) 慶長5(1600)年、7月17日、 『関ヶ原合戦』を前に石田三成側の人質となるのを拒み、 自ら死を選ぶ。
◎持田ノ眼◎ 紅蓮の炎によって、 包まれた細川ガラシャの遺骨は、 オルガンチーノの手によって丁寧に拾われた。 その後、細川家の菩提寺である崇禅寺に運ばれ、 埋葬されたと言う。 崇禅寺。