山内伊右エ門屋敷跡
山内伊右エ門屋敷跡
長浜城下の一角に、
「伊右エ門屋敷跡」が残る。
この地は明治初年頃まで、
「伊右エ門屋敷」と言う地名で呼ばれており、
そこから山内一豊が羽柴秀吉家臣として長浜に移って来た時に、
一豊の屋敷があった場所とされている。
◎持田ノ眼◎
山内一豊と千代の
ひとり娘の与禰が誕生したのは、
天正8(1580)年であることから考えると、
この「伊右エ門屋敷跡」の地で誕生したことは、
間違いないと思われる。
ここで一豊と千代は、
相次ぐ合戦の日々を迎えながらも、
幸せな夫婦生活を過ごしていたのである。
また天正10(1582)年の『本能寺の変』では、
この地で千代が与禰を始め一豊の家臣たちの妻子を
指揮し先導して難を逃れたのであろう。
なおこの「伊右エ門屋敷跡」の碑は、
どう言うわけだか車道の真ん中に建てられており、
それほど交通量は多くないとは言え、
撮影はスリルである。