山内一豊の妻 霊屋
妙心寺大通院 霊屋
宝形造。
檜皮葺。
「見性閣」と呼ばれる。
元和3(1617)年12月4日、
山内一豊の妻は京都にて死去。
寛永10(1633)年、大通院の湘南宗化、
霊屋「見性閣」を建立。
◎持田ノ眼◎
画面の右手が、
山内一豊の墓石と位牌で
左側に一豊の妻の墓石と位牌が
並んでいる。
この霊屋を建立した湘南宗化は、
一人娘を亡くした一豊夫妻によって
育てられた捨て子であった。
その後、家族相続問題について
内紛の勃発を危ぶんだ一豊の妻によって、
妙心寺の塔頭である大通院に預けられ、
優れた僧となり大通院の住持となる。
湘南宗化は、いつまでも
一豊の妻を実の母と慕い続け、
その没後十七回忌に霊屋を建立したのである。
「見性閣」の名は湘南宗化が名付けたもので、
一豊の妻の法名である見性院に因む。
この霊屋については、
一豊とその妻の夫婦の繋がりが
語られることが多い。
しかしむしろ建立した湘南宗化の
「母」である一豊の妻への感謝と思慕の思いと言う
母と子の絆の方が強く感じられる
建物である。