京都御所 御学問所
京都御所 御学問所
入母屋造。
桧皮葺
康正年間(1455〜1456)の清涼殿造営時に、
初めて「御学問所」が設けられたと言う。
慶長年間(1596〜1614)の御所修築造営によって
独立した建物となる。
当初は天皇の学問所とされていたが、
後に、親王宣下や歌合わせ、講書始め等の
年中行事の場として使用されることになる。
現在の御学問所は宝永年間(1704〜1710)に
造営されたもの。
◎持田ノ眼◎
小御所の北、常御殿の南に位置する。
外見上の大きな特徴は、
寝殿造の蔀戸が用いられずに、
書院造の舞良戸が使われ、欄間も
取られていることである。
また階段には昇高欄も設置されていない。
その一方で縁側には高欄を巡らせ、
王朝文化の面影を残している。
内部の部屋は畳敷きで床棚があり、
書院造の対面所の影響を受けている。
しかし、床棚は側面にあることが、武家との大きな
違いとなっている。
この御学問所内の菊の間は、
「千鳥棚」と呼ばれる違棚がある。
菊の間は常御殿で煤払い等が行われている間は、
天皇の御在所となる部屋であり、
千鳥棚に剣璽が安置された。