相国寺 仏殿址 永徳2(1382)年10月、仏殿立柱。 至徳元(1384)年、仏殿落慶。 応永元(1394)年9月、焼失。 応永2(1395)年2月、仏殿立柱。 応永3(1396)年6月、落慶(三世如来殿)。 応永32(1425)年8月、焼失。 同年11月、仏殿立柱。 永享8(1436)年3月、仏殿落慶。 応仁元(1467)年10月3日、 『応仁の乱』で山名宗全の攻撃により焼失。
◎持田ノ眼◎ 度重なる失火と兵火により、 復興叶わず現在はかつての壮大な姿を 想像させる址地が残るだけである。 現在、この址地の真ん中を、 南北に貫く形で通路が設けられており、 北に法堂、南に三門址が広がる。 境内の中でも仏殿址を訪れる人は少なく、 静寂な時間を味わえる。