源義経 十三重石塔 源義経の家臣である 佐藤継信・忠信兄弟の墓と 伝えられて来た十三重の石塔である。 しかし調査の結果、 佐藤兄弟の墓ではなく、 鳥部野に葬られた人々の供養のために 建立された石塔であることが判明した。
◎持田ノ眼◎ 京都国立博物館の 南門を入ってすぐの場所にある。 近くの馬町にあった石塔を道路整備に伴い 現在地に移転したもの。 石塔は鎌倉時代のもので、 永仁3(1295)年の年号が刻まれており、 そこから人々の「判官びいき」の思いが、 義経伝説の一部として物語に、 繋がっていったのだろうか。