相国寺 三門址
相国寺 三門址
応永14(1407)年頃、三門落慶。
応永32(1425)年、失火により焼失。
永享12(1440)年、三門復興。
応仁元(1467)年10月3日、
『応仁の乱』で山名宗全の攻撃により焼失。
文明10(1478)年、三門復興。
天文18(1549)年7月14日、
『天文の乱』で松永久秀の攻撃により焼失。
慶長14(1609)年、徳川家康により三門復興。
天明8(1788)年2月1日、
『天明の大火』により焼失。
◎持田ノ眼◎
『天明の大火』の後、
三門は復興されることなく
かつての威容を現在へ伝える礎石が
静かに残るだけである。
時の権力者が豪壮に築き上げても、
そのつど幾度となく失火と兵火によって
喪われてしまった三門に、
諸行無常を感じずには
いられない。