相国寺 天界橋
◎持田ノ眼◎ 勅使門を入ってすぐの場所に、 位置する放生池に架かる石橋。 天文20(1552)年、 相国寺に陣を張った 管領の細川晴元軍に対し、 三好長慶軍の重臣である松永久秀は、 この天界橋において細川軍と、 雌雄を決すべく合戦に及ぶ。 この合戦は『天文の乱』と呼ばれ、 結果、『応仁文明の乱』以後、 ようやく復興した相国寺は、 僅か一日で何もかもが、 再び灰燼に帰した。