金戒光明寺 方丈 本瓦葺。 入母屋造。 現在の方丈は、 昭和9(1934)年に焼失後、 御影堂と共に復興されたもの。 閑院宮載仁親王直筆の 「白河禅房」の額が掲げられている。
◎持田ノ眼◎ 「講堂」とも呼ばれる。 方丈の裏手には熊谷直実が、 法然上人に弟子入りし出家する際に、 着ていた甲冑を洗ったという「鎧池」がある。 幕末期には京都守護職に任じられた 会津藩主松平容保が陣を置いた。 なお法然上人が、 居たところは小方丈であり、 こちらは昭和9(1934)年の焼失後、 復興はなされていない。