興福寺 東金堂
興福寺 東金堂(国宝)
寄棟造。
本瓦葺。
正面七間側面四間。
◎持田ノ眼◎
神亀元(724)年、
聖武天皇が元正太上天皇の
病気平癒を祈願し建立したもの。
寛仁元(1017)年、焼失。
永承元(1046)年、焼失。
康平3(1060)年、焼失。
治承4(1180)年、焼失。
延文元(1356)年、焼失。
応永18(1411)年、焼失。
以上のように、
歴史上主な記録だけでも
何度も焼失したがその都度復興され、
現在に伝わる姿は、応永22(1415)年に、
創建当初の礎石や敷石に従って再建しつつ、
室町の建築技術を取り入れて、
復興されたものである。
治承4(1180)年の
平重衡の兵火により焼失した際には、
復興にあたり本尊として山田寺講堂にあった
薬師三尊像を強引に運び出し東金堂に安置している。
正面一間通りの吹き放しは、
唐招提寺金堂と同じ様式であり、
内部と外部の柱の高さが全て等しい点は、
法隆寺金堂と同じ様式であることが注目される。
本尊の薬師如来像は重要文化財。