大阪城(大坂城) 多聞櫓(重要文化財)
◎持田ノ眼◎ 現在の多聞櫓は、 嘉永元(1848)年に再建されたもので、 初代は寛永5(1629)年に建築されたが 天明3(1783)年に焼失している。 多聞櫓の起源は、 松永久秀が築城した大和国多聞山城にあった 防備に優れた櫓にあると伝えられる。 渡櫓(写真の部分)・続櫓とで構成され、 大手口枡形の防衛を担う建築物である。 渡櫓には「槍落とし」の仕掛けがあり、 続櫓には「銃眼」が備えられている。