坂本龍馬 寓居跡 河原町通三条下ル一筋目東入。
◎持田ノ眼◎ 当時、材木商「酢屋」。 坂本龍馬は、この二階に、 「才谷梅太郎」と偽名を使い隠れ住んでいた。 在京都海援隊支部もここに置かれた。 慶応3(1867)年10月15日、 龍馬はここで「大政奉還」の知らせを聞いた。 なお近くには土佐藩邸があるものの、 幕府の雄である井伊氏の彦根藩邸もあり、 当時緊迫した状況にあったことが推察される。