東大寺 大仏殿(国宝) 重層四注造(創建時は重層入母屋造)。 宝永6(1709)年、再建。
◎持田ノ眼◎ 治承4(1180)年、源平争乱の最中に、平 重衡の失火により東大寺は火災に見舞われ 大仏殿も焼失。 重源が「造東大寺勧進」となり 再建に命を賭して尽力することになる。 建久6(1195)年、 再建に情熱をかける後白河上皇の尽力や 鎌倉幕府の後援を受けて大仏殿落慶法要を挙行。 この時には、源頼朝、北条政子らも列席している。 永禄10(1567)年、戦国時代には、 松永久秀と三好三人衆との間の合戦の あおりを受けて焼失。 江戸時代の元禄期になって再建が始まり、 宝永6(1709)年、大仏殿は落慶法要を迎え 今日にその姿を伝える。 なお創建時に比べると高さはほぼ同等ながら、 内陣部分では高さが7割余減、 面積も4割余減となっている。