祇園祭の前祭に巡行する山。
平井保昌に因む山。
『応仁文明の乱』以前から存在する山。平井保昌と和泉式部との恋愛譚を題材としており、その伝えられる話の中で、保昌が紫宸殿の紅梅を盗み取ったことから「花盗人山」とも呼ばれる。
【ご利益】
平井保昌と和泉式部に因み「縁結び」にご利益があるとされ、真松には、恋愛成就の奉納絵馬が吊り下げられる。
【歴史】
延享元(1745)年、鎧を大善寺から譲渡される。
天明8(1788)年、『天明の大火』で罹災。
寛政10(1798)年、見送「寿星図」を新調。
昭和38(1963)年、舁山として初めて「車輪」を付ける。
【胴組】
【真松】
【御神体人形】
御神体人形は、平井保昌で、頭部は明応9(1500)年、胴体は文政元(1818)年に製作されたものと伝えられる。なお、この御神体人形が着用する鎧は、明智十兵衛光慶のものと言う。明智光秀に因むものかどうかは不明。巡行時には、両手で「梅花」の入った花器を持つ。
【紫宸殿】
平井保昌が紫宸殿の梅花を盗み取った伝承から紫宸殿が飾られる。紫宸殿は、入母屋造で蔀戸が備えられる等、精緻な細工となっており、中に牛王天王を祀っている。
【水引】
水引は、明代官服を水引としたもの。本物の孔雀の羽が使われている等、贅を尽くした作りとなっている。
【前掛】
前掛は、江戸時代の「蘇武牧羊図」刺繍。円山応挙が下絵を描いたもので、安永2(1773)年に前掛として作られた。
【胴掛】
胴掛は、左側胴に「巨霊神白鳳図」、右側胴に「張騫に虎の図」である。
【見送】
見送は、寛政10(1798)年に作られた「寿星図」綴錦が使われる。それ以前は、明製「仙人図」刺繍が使われていた。
【隅房】
【授与品】
【日程】
7月12日、山建て。
7月16日、宵山。
7月17日、巡行。
京都市下京区東洞院通松原上ル燈籠町。