祇園祭の前祭に巡行する山。
菅原道真に因む山。
永正年間に火災が山町に発生したが、その際、天から天神と共に霰が舞い降り、火が消えたことから「火除けの天神」として祀られる。この天神を祀ることから「火除天神山」とも呼ばれている。
【ご利益】
「火除けの天神」であり、実際、江戸時代のいずれの大火の被害を受けることは無かったこともあって、「雷除け」「火除け」に、ご利益があるとして、「火除けの護符」は人気がある。また、粽には紅梅が付けられている。
【歴史】
延宝6(1678)年、神額を製作。
正徳4(1714)年、山型を改造し現在の形とする。
享保20(1735)年、鳥居を新調。
昭和3(1928)年、欄縁を新調。
昭和61(1986)年、胴掛「白梅金鶏図」を新調。
平成15(2003)年、胴掛「銀鶏図」を新調。
【社殿と鳥居】
山の上には、社殿、鳥居、11本の若松、梅花が廻廊(透塀)に囲まれて載る。その内、鳥居は、享保20(1735)年に製作されたもので、神額の「天神」の文字は、室町時代に書かれた青蓮院の尊澄法親王の書を元にして、江戸時代の延宝6(1678)年に製作されたものと見られる。
【廻廊】
「廻廊」は、その美しい細緻な細工から「透塀」とも呼ばれる。この廻廊は、霰天神山の大きな特徴であり、この廻廊があるため、霰天神山には水引が存在しない。上下二段に渡り、精緻な彫刻が為され、上段に春夏秋冬にまつわる透かし彫りが、下段には天神に因み牛が彫刻されている。
【前掛】
前掛は、ベルギー(当時、フランク王国)製綴織壁掛で、1500年代後半に製作された「出陣するヘクトールと妻子の別れ」の絵柄。鶏鉾の見送と長浜曳山祭の見送と元は一枚であったものを分けたものらしい。文政元(1818)年、復元新調。
宵掛。
宵掛。
【胴掛】
胴掛は、昭和時代の「白梅金鶏図」綴織、さらに「銀鶏図」綴織を所有。 因みに、前者の下絵は上村松篁、後者の下絵は上村淳之が担当したものである。なお、見送と見送掛衣桁は存在しない。
宵掛。
宵掛。
【後掛】
中国の官服を使用している。
宵掛。
宵掛。
【見送】
この霰天神山には、「見送」が無い。従って「見送掛衣桁」も無い。このことが外見上の大きな特徴となっている。
【隅房金具】
【会所と授与品】
【日程】
7月13日、山建て。
7月16日、宵山。
7月17日、巡行。
京都市中京区錦小路通室町西入ル天神山町。