大船鉾

(大船鉾)

祇園祭の前祭に巡行する鉾。

朝鮮征伐から凱旋する神功皇后に因む鉾で、祇園祭の後祭において最後尾のトリを飾る。

【ご利益】
神功皇后の故事から安産守護の鉾として知られ、安産の御守や腹帯が授与される。

【歴史】
応永29(1422)年、建立。建立時期については、嘉吉元年(1441年)とする説もある。
応仁文明年間、『応仁文明の乱』で焼失。
明応9(1500)年、復興。
天明8(1788)年、『天明の大火』で焼失。
文化元(1804)年、復興。
元治元(1864)年、『禁門の変(蛤御門の変)』で胴組等を再び焼失。
平成7(1995)年、「居祭」も廃止。
平成9(1997)年、宵山の「お囃子」が復活。
平成18(2006)年、飾り席が復活。 平成22(2011)年、「居祭」も再開される。
平成26(2014)年、巡行に参加。復興を果たす。
平成28(2016)年、龍頭を再建。

【御神体人形】

大船鉾 「御神体人形」

(御神体人形)

御神体人形は、住吉明神、鹿島明神、龍神安曇磯良を失い、神功皇后のみが残されている。なお、神功皇后の神面は、桃園天皇女御の御出産に際して、安産守護のため御所に運び込まれている。

【水引】

大船鉾 下水引「緋羅紗地飛龍波濤文様」刺繍と二番水引「金地雲龍文様」

(下水引と二番水引)


旧天水引。

大船鉾 旧天水引

(旧天水引)


下水引。

大船鉾 下水引「緋羅紗地飛龍波濤文様」刺繍

(下水引「緋羅紗地飛龍波濤文様」)

大船鉾 下水引「緋羅紗地飛龍波濤文様」刺繍

(下水引「緋羅紗地飛龍波濤文様」)


二番水引。

大船鉾 二番水引「金地雲龍文様」

(二番水引「金地雲龍文様」)

大船鉾 二番水引「金地雲龍文様」

(二番水引「金地雲龍文様」)

下水引は「緋羅紗地飛龍波濤文様」。二番水引は「金地雲龍文様」。

【前掛】

大船鉾 前掛「雲龍波濤文様」綴織

(前掛「雲龍波濤文様」綴織)

前掛は「雲龍波濤文様」。

【大舵】

大船鉾 大舵「緋羅紗地雲龍波濤文様」刺繍

(大舵右面)

大船鉾 大舵「緋羅紗地雲龍波濤文様」刺繍

(大舵左面)

大舵は「緋羅紗地雲龍波濤文様」。刺繍である。

【艫櫓】

大船鉾 「艫櫓」

(艫櫓)

船形をしていることもあり、胴体後部に「艫櫓」を持つ。内部に人は入れないが、精緻な装飾が施されている。

【日程】
7月23日、宵山。
7月24日、巡行。

地図 大船山

京都市下京区新町通四条下ル四条町。

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