祇園祭の前祭に巡行する曳山。
楊柳観音を祀る山。
元は舁山であったものが曳山に改造されたもの。室町時代の文和2(1353)年には存在が確認されている。『応仁文明の乱』の頃から、南観音山と互いに車輪等の部品を融通して隔年交互に山を出していた。江戸時代には、山町にあった三井家、伊藤家の財力を背景に非常に豪華な山へと作りかえられている。明治時代になって、南観音山と揃って参加するようになった。
また、歴史的な経緯もあって、山町衆の意識が強く、粽等の一般への授与等が行われていないのも特徴である。
【歴史】
江戸時代末まで、南観音山と隔年毎に山を出していた。
宝暦2(1752)年、胴掛のインド絨毯を購入する。
宝暦11(1761)年、下水引を新調する。
天明8(1788)年、『天明の大火』では、本尊の楊柳観音が顔を残して焼失。
寛政8(1798)年、南観音山が復興する。
寛政9(1799)年、唐破風付の屋根を新調する。
文化14(1816)年、天水引「唐草文」錦織を新調する。
天保2(1831)年、大屋根を新調する。
天保4(1833)年、山の大部分が新しくなる。
明治12(1879)年以降は、南観音山と共に毎年巡行に参加。
昭和41(1966)年、前祭と後祭が京都市に依って合併させられる。
平成元(1989)年、天水引「唐草文」錦織を復元新調する。
平成19(2007)年、二番水引、三番水引を復元新調する。
平成26(2014)年、前祭と後祭が復活し後祭の曳山先頭となる。
【本尊】
本尊の楊柳観音。
【大屋根】
大屋根。
【真松と尾長鳥】
真松は、かつては、北嵯峨から運ばれたものを使っていたが、今は、鳴滝産のものを使用している。この真松の左の二段目の枝には尾長鳥が止まっている意匠が施されている。屋根の破風は、天保4(1833)年の彫刻で装飾されている。
【水引】
天水引。
江戸時代の天水引「緋羅紗地青蟠龍」刺繍。
天水引には、もう一種類、平成元(1989)年に復元新調した「唐草文」錦織があり、「緋羅紗地青蟠龍」刺繍と一年おきに交代で使われている。
下水引。
下水引は、これも江戸時代の「金地王侯行列風俗図」刺繍。
前掛を飾る前水引。
二番水引。
二番水引は、「牡丹唐草文」綴錦。
三番水引。
三番水引は、「金地牡丹文」錦織。
【前掛】
前掛は、イスファハン製絹絨毯。
【胴掛】
胴掛は、「トルコ花文」緞通である。
【後掛】
後掛。
【見送】
見送は、「唐婦女子嬉遊図」綴織、「百子嬉遊図」綴織がある。巡行の際には、見送の脇に大きな柳の枝が差し込まれる。
【隅房飾り】
隅房飾り。
【日程】
7月18日、山建て。
7月20日、曳初め。
7月24日、巡行。
京都市中京区新町通六角下ル六角町。